#009
Hirokazu Tokuyama

德山 拓一

形が影に従い、音が響に応じる

ARTIST
ONGOING
ARTIST

磯谷 博史

小早川 秋声

鈴木 治

竹内 栖鳳

田中 一村

土田 麦僊

 

2024.9.2 Mon. — 2024.9.14 Sat.
ONGOING
Introduction

この度のGinza Curator’s Roomでは、森美術館キュレーターの德山拓一氏を迎えて、「形が影に従い、音が響に応じる」展を開催します。

本展では、アーティストの磯谷博史氏が、思文閣所蔵の大正・昭和期に描かれた日本画および戦後の前衛陶芸集団である走泥社の作品を「素材」や「道具」に用いて制作した新しい作品シリーズと、それぞれの元となった作品とを合わせて展示いたします。

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磯谷 博史 影響を泳ぐ

小早川 秋声 細雨蕭々(部分)

Outline
会期

2024.9.2 Mon. — 2024.9.14 Sat.

日曜休廊

開廊時間

10:00 — 18:00

お問い合わせ

思文閣銀座

TEL: 03-3289-0001

MAIL: tokyo@shibunkaku.co.jp

Curator's Statement

德山 拓一

本展は、アーティストの磯谷博史が思文閣の所蔵品の中から、大正から昭和にかけて描かれた日本画と、戦後に生まれた前衛陶芸集団である走泥社の作品を、「素材」や「道具」として用いて制作した新しい作品シリーズを紹介します。本シリーズにおいて磯谷は、明治から戦後という大きな変革期に新たな表現に挑んだ先達の作品を、題材とすることや再解釈することよりもさらに踏み込んだ、暴力的な介入ともいえる手法を採用しています。

本展のタイトルは因果関係を示す言葉としての「影響(ようこう)」に着想を得ています。仏教では影や響のように現われる菩薩のことを「影響衆(ようごうしゅう)」と言い、ここには「影が形に従い、響が音に応ずるように、関係が密接で速やかに相応する」という意が込められています。本シリーズは、本来なら影響を受けるのみの「影」や「響」である後人の磯谷が、先達の「形」を従え、「音」を応じさせることの可能性に挑んだ、大胆であり示唆に富んだ思考実験だといえます。さらには、これまでの作品で重要な主題として「時間の流れ」を扱い、特に、写真作品を通して時間の不可逆性に言及してきた磯谷にとって、本展は、現在が過去を変える可能性を示唆しようとする、注意深い思考に基づいた実験であり、過去との新たな共創の試みともいえるでしょう。

Curator

德山 拓一

森美術館キュレーター

京都市立芸術大学ギャラリー@KCUAを経て、2016年4月より森美術館アソシエイト・キュレーター。京都市立芸術大学ギャラリー@KCUAでは、グイド・ヴァン・デル・ウェルヴェ個展「無為の境地」、奥村雄樹個展「な」(2016年)、アピチャッポン・ウィーラセタクン個展「PHOTOPHOBIA」(2014年)がある。森美術館では「SUNSHOWER: 東南アジアの現代美術展 1980年代から現在まで」(2017年)、「MAMプロジェクト025:アピチャッポン・ウィーラセタクン+久門剛史」(2018年)、「六本木クロッシング2019:つないでみる」(2019年)、「地球がまわる音を聴く:パンデミック以降のウェルビーイング」(2022年)、「シアスター・ゲイツ展:アフロ民藝」(2024年)などを担当。東北芸術工科大学客員教授。

Artist

磯谷 博史

東京都生まれ。写真や彫刻、ドローイング、それら相互の関わりを通して、時間や認識の一貫性への再考を促す作品を制作する。主な個展に、「動詞を見つける」(小海町高原美術館、2022)、「『さあ、もう行きなさい』鳥は言う『真実も度を超すと人間には耐えられないから』」(SCAI PIRAMIDE、2021)、主なグループ展に「Constellations: Photographs in Dialogue」(サンフランシスコ近代美術館、2021)、「Lʼ Image et son double」(ポンピドゥー・センター、2021)、「六本木クロッシング2019:つないでみる」(森美術館、2019)など。

小早川 秋声

日本画家。兵庫県生。名は盈麿。京都絵専中退後、谷口香嶠に師事、その歿後山元春挙に師事し、早苗会に参加。文展・帝展等で活躍。しばしば外遊し、東洋・西洋美術の研究につとめる。戦時中は従軍画家として現地に赴き、戦争記録画を描いたが、戦後は宗教画を手掛けた。日展委員。昭和49年(1974)歿、88才。

鈴木 治

陶芸家。京都生。昭和33年(1958)に八木一夫・山田光らと前衛陶芸集団走泥社を創立、先駆的な活躍で現代陶芸に新風をまきおこす。日本陶磁協会賞・朝日陶芸展ほか海外でも入選・入賞歴が多い。京都市芸大教授。平成13年(2001)歿、74才。

竹内 栖鳳

日本画家。京都生。名は恒吉、初号は棲鳳、別号に霞中庵。土田英林・幸野楳嶺の門に学ぶ。京都府画学校卒。横山大観・川合玉堂と並んで日本画壇の大御所的存在であり、多くの名品を残すとともに、京都画壇の総帥として多くの逸材を育成、日本画の近代化に大きく貢献した。京都絵専教授。文展審査員。文化勲章受章。昭和17年(1942)歿、79才。

田中 一村

日本画家。栃木県生。父は彫刻家田中稲村。名は孝、初号は米邨、のち一村と改める。南画を能くし、東美校に東山魁夷・橋本明治らと同期で入学するが三か月で中退。青龍社展に出品、入選を果たすがやがて画壇との交渉を断ち、昭和33年(1958)奄美大島に移住、南洋の植物や鳥をモチーフに絵を描き続けた。昭和52年(1977)歿、69才。

土田 麦僊

日本画家。新潟県生。名は金二。鈴木松年の門に入り、後に竹内栖鳳に師事する。京都絵専卒。大正7年(1918)村上華岳・小野竹喬・榊原紫峰らと国画創作協会を結成し、同会解散後は官展で活躍。西洋画と伝統画風を調和させた清新典雅な作品を発表し、近代日本画の好指標の一人となる。帝国美術院会員。昭和11年(1936)歿、50才。