大坂 紘一郎
郭 昭蘭
多孔的なアーカイヴ・探照
藤井 光
藤田 嗣治
彭 瑞麟
12回目を迎える今回のGinza Curator’s Roomでは、初の試みである共同キュレーションとして、プロジェクトスペース ASAKUSA代表の大坂紘一郎氏と台北芸術大学准教授の郭昭蘭氏をお迎えします。
本展では、台湾美術史に名を刻む写真家・彭瑞麟が撮影した写真を起点とし、現代アーティスト・藤井光氏が、それらを素材とした作品を提示します。そして藤田嗣治が戦時中に描き、その後長らく所在不明であった一枚の戦争画をあわせて展示することによって、アーカイブが持ちうる多面的な意義に目を向けてゆきます。
2025.6.6 Fri. — 2025.6.28 Sat.
日曜休廊
10:00 — 18:00
思文閣銀座
〒104-0061 東京都中央区銀座5丁目3番12号 壹番館ビルディング
野村證券株式会社
中華民國文化部
一色事務所
大坂 紘一郎
郭 昭蘭
台湾人写真家・彭瑞麟(Peng Ruei-lin, 1904-1984年)の私的なアルバムには、記述よりもその不在を通して立ち現れる数々の断片があります。1938年、軍部の通訳として随行した旅先において日本語で書き込まれたこのアルバムは、多くが抜き取られた空白のページによって、沈黙の構造や抑制された視線、全てを露わにすることへの躊躇いを感じさせ、歴史の輪郭をいっそう曖昧にしています。現代アーティスト・藤井光(1976年生まれ)による批評的な再構成と、藤田嗣治(1886-1968年)が戦中に描いた一枚の油絵とともに展示される本展は、日本、台湾、ベトナム、シンガポール、そしてアメリカを結ぶ環太平洋地域において、揺れ動く忠誠心と移ろう視線のかすかな糸をたぐり寄せていきます。ここでの写真とは、過去を記録し保存するものにとどまりません。その多孔的なアーカイブは、光に触れることで新たな影を落とし、視覚の限界とメディウムの内に潜む断絶をあぶり出していきます。
大坂 紘一郎
キュレーター。2015年プロジェクトスペース ASAKUSA、2023年にはキュラトリアル研究の場として0-eAを設立。「機械の中の亡霊 (ICAを考える)」(e-flux, 2019) 、「呪のマントラ:呪殺祈禱僧団」(Para Site Residency, 2019) ほか。2025年よりシンガポール国立大学比較アジア研究博士課程。
郭 昭蘭
インディペンデント・キュレーター、台北芸術大学准教授。近現代美術、美術史、キュレーション実践を教える。芸術の移動と流通、美術史記述論、展覧会がいかに歴史を作るかをテーマに研究を行う。
2021年に台北北師美術館(MoNTUE)で開催された「On the Passage of a Few Persons Through a Brief Moment in Time」では、アーティストの林明弘(Michael Lin)、リー・アンブロジーとのコラボレーションを通じて、美術史学の拡張領域として「超歴史的展示」の可能性を追究。2020年に台北関渡美術館(KdMoFA)で開催された「Score: Moving from “Art as Method” toward “ALIA as Method”」では、学際的な交流を合理化・可視化しつつ、「スコア(楽譜)」が時間と空間を動員する力を、地域芸術における「エコロジー・フォーム」という主題に再統合する。また、ボリス・グロイス『Art Power』(Artist Publishing、2015年)を中国語に翻訳し、美術史学に関するエッセイ「This is (not) Photography: An Assignment Given by Peng Ruei-Lin」は、『Hold the Mirror up to His Gaze: the Early History of Photography in Taiwan (1869–1949)』(国立台湾美術館国家攝影文化中心、2021)に収録、および「Pathways and Challenges: Art History in the Context of Global Contemporary Art」がオンライン誌『Curatography』に掲載される。
2022年には、台湾美術史を再構築するシンポジウム「Horizontal Art History: Perspectives from Taiwan」を主宰した。
藤井 光
アーティスト。インスタレーション、映像、ワークショップなど多様なメディアを用いて、芸術、歴史、社会の間で展開する作品制作を行なう。その実践は、特定の歴史的瞬間や社会問題を出発点とし、リサーチやフィールドワークに基づいている。作品を通じて、現代および歴史上の危機や構造的暴力を考察し、それらが人間および人間以外の存在に与える影響と意味を探求する。主な展覧会歴には、東京国立近代美術館、東京都現代美術館、M+、韓国国立現代美術館(MMCA)、ポンピドゥ・センター(メッス)、Kadist(パリ)、HKW(ベルリン)などの他に、アジア・パシフィック・トリエンナーレ(2021)、アルル国際写真フェスティバル(2024)などの国際芸術祭に多数参加する。Tokyo Contemporary Art Award 2020–2022を受賞。
藤田 嗣治
洋画家。1886年(明治19)東京生。東美校卒。渡仏し、乳白色の絵肌に線描する独自の作風を生み出し、一躍パリ画壇の注目を集めた。一時帰国し、二科会会員・帝国芸術院会員に推挙。終戦後再び渡仏し、フランスに帰化する。カトリックの洗礼を受けてレオナール・フジタと改名する。朝日文化賞受賞。レジョン・ド・ヌール勲章受章。1968年(昭和43)歿、81才。
彭 瑞麟
写真家。1904年台湾新竹生まれ。1984年没。
1928年、石川欽一郎の勧めに従い、「台湾にはまだ写真というものがない」ことを理由に、東京写真専門学校に留学して専門教育を受ける。1931年に台北に戻って「アポロ写真館」を立ち上げる。ここは台北太平町の高級写真スタジオとなり、後続を指導する基地ともなった。日本の芸術写真ブームの薫陶を受けていたが、1938年突然日本軍の召集を受けて広東省へ赴き、通訳として働くことになる。この時取り組んだ「広東アルバム」は、彼の生涯において数少ない写実スタイルの作品となった。この間、コダックのパールカメラで撮影した写真のほか、戦地の風景をスケッチしたものを発表している。
太平洋戦争勃発直前の時期には、越南復国同盟会のベトナム皇室の末裔クォン・デと親しく交際していた。残された写真からは、彭が越南復国同盟会の委託を受け、様々なイベントを記録する撮影者であっただけでなく、被写体でもあったことがわかる。もし、1939年末にクォン・デが台湾総督府の依頼を受けて行った、ベトナム語によるラジオ放送を、音声による南方放送とするならば、彭瑞麟が残したのは、沈黙と消音の集合写真であった。