吉岡 洋
うつしの美学
雪舟 等楊
俵屋 宗達
村上 華岳
小林 玉雨
フォルマント兄弟
河合 早苗
吉岡 洋
うつしの美学
雪舟 等楊
俵屋 宗達
村上 華岳
小林 玉雨
フォルマント兄弟
河合 早苗
吉岡 洋
うつしの美学
雪舟 等楊
俵屋 宗達
村上 華岳
小林 玉雨
フォルマント兄弟
河合 早苗
本展「うつしの美学」では、美学者で京都芸術大学文明哲学研究所教授の吉岡洋氏をお迎えします。
現代や過去における古作品の模写をはじめ、文明の始原から写され続けてきた波文を伝える唐紙の制作、さらには人間の声に宿る生命を機械合成によって生成するコンピュータ音楽の試みを、「うつし」というキーワードを手がかりに考えます。
2024.4.18 Thu. — 2024.5.2 Thu.
日祝休廊
10:00 — 18:00
ご予約は不要ですので、ぜひご来場ください。
2024.4.18 Thu. 13:00〜15:00
法文2号館アーケードに面した東側(安田講堂側)の入口から入り、正面の階段を上がった中2階にございます。
※現在赤門は工事中のため閉門しております。お越しの際は正門をご利用ください。
吉岡 洋
小林 玉雨
フォルマント兄弟
河合 早苗
吉田 寛 (美学会会長)
美学会
吉岡 洋
「うつし」は、コピーではない。
コピーとは、出来上がった形をトレースしたりスキャンしたりして再現することである。形は似ていても、その形を生み出した動きや変化のパターンと、その形をトレースしたりスキャンしたりする動作のパターンの間には、なんの関係もない。だがそのことはコピーにおいては問題にならない。コピーにとって重要なのは、オリジナルの形を再現する精度だけだからである。
それに対して「うつし」においては、形を生み出す動きや変化のパターンを、ひとつの身体から別の身体へと移すことが目指される。結果としての形が似ていることも重要でないわけではないが、その再現の精度を上げることが最終目標ではない。動きや変化のパターンは固定することができないので、うつす過程においてそれら自体が揺らぎ、うつろう。うつすことは時間を受け入れることであり、常に変質や衰退と身を接しながら行われる。
現代の私たちはコピーという考え方に支配されており、うつすことにまつわる感性や想像力が衰えている。コピーはその内部に生成原理がコード化されていないので、同一のものの反復や保存には適している。それは変質や衰退からは護られている反面、発展や進化の可能性には開かれていない。発展や進化には変異が、あえて言うならエラーが必要である。それは時間の中での不安定性を引き受けること、変化を受け入れつつ継承することである。「うつし」とは両義的であり、生を抱きつつ死に臨むことであると同時に、死を抱きつつ生を求めることでもある。
本展示では、現代や過去における古作品の模写をはじめ、文明の始原から写され続けてきた波文を伝える唐紙の制作、さらには人間の声に宿る生命を機械合成によって生成するコンピュータ音楽の試みを、「うつし」というキーワードによって考えてみたい。
吉岡 洋
1956年京都生。情報科学芸術大学院大学(IAMAS)教授、京都大学教授を経て、現在京都芸術大学文明哲学研究所教授。『情報と生命』(新曜社)『〈思想〉の現在形』(講談社)他、美学芸術学、情報文化論に関わる著作・翻訳など多数。批評誌『ダイアテキスト』(京都芸術センター)編集長、「京都ビエンナーレ2003」「岐阜おおがきビエンナーレ2006」総合ディレクター。映像インスタレーション「BEACON」プロジェクトメンバー。ロームシアター京都リサーチプログラムメンター。日本学術会議会員。
雪舟 等楊
渡唐天神図
画面右下に拙宗等揚の「等揚」印が押されている。拙宗と雪舟は同一人物という説がほぼ定説となっていて、拙宗から雪舟への改号は、長禄元年(1457)、雪舟38歳頃と考えられている。本作品は、それ以前の15世紀中頃の作ということになる。
「渡唐天神」とは、菅原道真が亡くなって天神となり、はるか時空を超えて南宋時代の高僧無準に会い、禅の極意を会得したという架空の物語である。
本作に描かれる、腕を組んで正面を向き、右手寄りに梅の枝を持つ姿は、渡唐天神像の初期の様をあらわす。本作の特徴として、袖の衣文線が細かい点、眉が左右に広がっている点、襟の縦線と肩の線が不自然に離れている点が挙げられるが、これらの特徴は、雪舟筆の渡唐天神像としてほぼ真筆と認められている晩年の作品にもみとめられる。
また、雪舟に私淑したという雪村周継と、雪舟に師事した宗淵が描いた、雪舟の渡唐天神像の模本が存在することから、彼らがうつした雪舟の立姿の渡唐天神像の存在が想定できる。これらの模本に見られる衣や眉の描き方は、本作の特徴とも合致する。
このような点から、本作品が雪舟筆渡唐天神像の出発点に近い作品であった可能性があると言えるだろう。
俵屋 宗達
毛利家本西行物語絵巻断簡
平安末鎌倉初期の歌人西行の生涯を記したものが 『西行物語』 であり、それを絵画化したものが『西行物語絵』である。現在、鎌倉時代から江戸時代に作られた写本、絵巻、版本の諸本が多数伝わる。
現在、出光美術館に所蔵されている西行物語絵巻三巻(重要文化財)もその一つである。これはかつて毛利家に伝来していたもので、元は四巻あり、残りの一巻は戦後に分割され、諸家に分蔵されている。本作品は、そのうちの一つである。出光美術館所蔵の第四巻に、寛永7年(1630)に烏丸光広が書いた奥書があり、本多伊豆守富正の依頼で、俵屋宗達に御所本を模写させた事が記されている。
宗達筆の西行物語絵巻は他に一点あり、渡辺家に所蔵されていて、これも重要文化財に指定されている。旧毛利家本と絵も詞も多少異なるが、よく似ていて、両者の成立関係が問題となる。奥書のある旧毛利家本が先に作られ、奥書のない渡辺家本は旧毛利家本に依って描かれたと思われるが、異論もある。
本作品の場面は、覚法法親王の高野山の庵室での歌会の場面に続き、場所が高野山であることを示す役割を果している。そのように絵巻では脇役であったこの場面が、掛軸となったこの作品では主役となっているが、空海ゆかりの三鈷の松として、現在でも信仰される松であり、何ら違和感はない。むしろ、新しい聖なる画題として新鮮である。
村上 華岳
奇峰 仿大雅筆法
華岳が描いたなかで仏画、牡丹、山岳風景は特に人気の画題であるが、そのうち山岳風景は晩年床から眺めた六甲山をもとに描かれた作品が多い。本作はしばしば描かれた武庫の山とは異なり、画題そのままに、どこか夢幻的とでもいうべき不可思議な表現である。これは山の姿というよりも、泥というか煙というか霊気というか、何らかの気配が立ち上って形となりつつあるような、そんな感覚に陥ってしまうが、華岳自身の手になる箱書に、「仿大雅筆法」とあるように、池大雅の描線に倣って描いた一幅である。
華岳は自著の『画論』のなかで、「大雅のかいたものについて見ると、その線条にかざりのない巧(うま)さが含まれている。(中略)ここにいう巧さは単に巧みといふことではなくて精神的又は知性的とでもいへる意味である。大雅の線のこの巧さ少しもムダというのを辿ってゐない、線の簡繫に関はらず、おほよそそこに必至のものを捉えてゐる。」と記している。
これほど小さな画面でありながら、観者の心を揺さぶる画力の大きさは、やはり華岳ならではのものといえよう。
小林 玉雨
小林玉雨写《鷹狩り》冷泉為恭筆
現在の京都御所の主要な殿舎は、安政2年に造営されたものです。その内の小御所は、昭和 29年に火災の憂き目に遭い、内部の障壁画は別所で保存されていた一部を除いて焼損しましたが、昭和33年の小御所再建の際に、菊池契月一門により安政の襖絵のうつしが制作されました。昭和33年のうつしは現在も京都御所で見ることができます。
菊池契月は京都市立絵画専門学校(京都市立芸術大学の前身)で日本画の教員を務めた人物で、昭和33年のうつしは京都市立芸術大学に所縁のある画家達の手で写されています。今日ではあまり馴染みがありませんが、かつて「写す」とは、描くことであり、書くことであり、則ち「畫く」ことを意味していました。本作はうつしを通した古典学習により、やまと絵の伝統を継承した幕末の画家・冷泉為恭が描いた《鷹狩り》と昭和 33年に松元道夫がうつした《鷹狩り》の仕事を自らの手を通じて読み解き、描くことと写すことが密接であった日本古来の絵画制作のあり様に近づくことを試みました。
フォルマント兄弟(三輪眞弘+佐近田展康)
フレディの墓あばき/インターナショナル
フォルマント兄弟は、2009 年に『フレディの墓/インターナショナル』(Le Tombeau de Freddie / L’Internationale )という作品を発表した。1991年に死亡したロック歌⼿フレディ・マーキュリーの歌声を真似た⼈⼯⾳声を作り、共産主義⾰命歌「インターナショナル」を⽇本語で歌わせるもので、YouTubeに投稿したミュージックビデオと、Web から⼊⼿できるコンセプトテキストの2 点で構成されていた。なぜフレディなのか、なぜインターナショナルなのかについては、そのテキスト「デジタル・ミュージックにおける6つのパースペクティブ」をお読みいただきたい。
今回新たに作り直した本作は、その歌声の再現である。ただしヘッドフォンから聞こえる歌声は、2009 年の録⾳ではなく、当時のプログラムを動かし、今この場で「⽣成」しているものだ。展⽰された PC の画⾯は、その⽣成プロセスの流れをダイアグラム図として視覚化している。つまり本作は「フレディの墓」を掘り返し、内部を⾒せる「墓あばき」である。さらに新しい試みとして、本作では鑑賞者が歌声の⽣成に介⼊できるようにした。PC 画⾯のオレンジ⾊の部分をマウスで操作してみてほしい。死者の声帯に触れることができる。
河合 早苗
フィシスの波文
京都の唐紙工房「唐長」は、和紙に文様を手摺りする唐紙を400年間継承してきた。その手仕事の現場から、本作は始まる。
植物文、雲や星を表す天象文、渦巻きや波文などが刻まれた江戸時代の板木に、泥絵具や雲母を載せ、和紙に文様を写していく。その反復によって生み出される唐紙の、息をのむような美しさ。あるがままの自然のかたち、動き、リズム、色合い。文様と、自然の「かたち」や「気配」をカメラは丁寧に追っていく。
葵祭や祇園祭、寺社や茶事の空間に息づく文様。1万年余り前のイタリアの線刻画や古代ローマの聖堂を飾るモザイク。北海道のアイヌの暮らしに受け継がれている文様。まるで文様に導かれるように、時空を超えて旅は繋がっていく。
エルメスのアーティスティック・ディレクター、デザイナーの皆川明(ミナ ペルホネン)、美術家の戸村浩は、自然からのインスピレーションと、自らの創作について真摯に語る。密やかに行われるアイヌの儀式や山の神への祈りは、人と自然と文様との関係性を、より鮮明に浮きあがらせる。
小さな京都の工房から多層的に拡がる文様を巡る旅の記録が、私たちが忘れてしまった大切な感覚、全人類の古層とのつながりを思い出させてくれる。
雪舟 等楊
1420–1506。室町中・後期の画僧。水墨画の大成者。備中赤浜生。京都に出て相国寺に入り、周文について画法を習得。のち山口で画房雲谷庵を営む。また遣明使に随行、元・明の山水・花鳥画を学ぶ。帰国後は各地を旅した。永正3年(1506)寂、87才。
俵屋 宗達
安土桃山・江戸前期の画家。能登あるいは加賀生。名は以悦、伊年・対青軒等の印章を用いた。京都の豊宗寺に住して永徳画法・古土佐骨法を会得し、光琳派の先駆となる。烏丸光広・本阿弥光悦らと交際があった。生歿年未詳。
村上 華岳
日本画家。大阪生。名は震一。旧姓は武田、のち村上。京都絵専卒。文展に入選を重ね、大正5年(1916)には特選となるが、やがて文展の理想主義に対する不満から、同7年自ら土田麦僊・小野竹喬・榊原紫峰らと国画創作協会を結成する。のち健康を害し、芦屋・神戸に居を移して、画壇から離れた作画生活を送り、仏教や六甲の山を題材に宗教的・瞑想的な雰囲気を湛えた精神性の高い絵画世界を形象した。昭和14年(1939)歿、51才。
小林 玉雨
昭和62年生まれ。姓は小林、名はちよの、号は玉雨。岡山県に生まれる。京都在住。京都市立芸術大学美術専攻日本画研究領域にて博士号を取得する。日本絵画におけるうつしの変遷の研究を主題に、平成27年から平成30年にかけて京都市立芸術大学芸術資料館所蔵の模本の調査を行い、令和2年に研究成果を発表する(彬子女王殿下・田島達也・小林玉雨・他、『模写を読む:画家は何を写してきたのか』、京都市立芸術大学芸術資源研究センター発行、https://www.kcua.ac.jp/arc/publication/utsushi/)。
調査と並行して平成28・29・30年度公益財団法人芳泉文化財団文化財保存学日本画・彫刻分野の研究助成を得て、安政2年に描かれた京都御所小御所の襖絵のうつしを実作し、令和5年に「第6回文化財保存学日本画・彫刻 研究発表展美しさの新機軸:日本画・彫刻 過去から未来へ」にて展示発表を行う。
その他に平成26年に敦煌文化弘揚基金会に基づく敦煌研究院主催の研修に参加し、敦煌莫高窟第257窟九色鹿本生の壁画の調査を経てうつしを制作する。また平成29年に中国美術学院(浙江省杭州)に高等研修生として留学、山水画を専攻し芥子園画伝や画論に基づいた伝統的な山水画を学ぶ。平成30年から令和4年まで京都市立芸術大学非常勤講師、令和6年から大阪成蹊大学非常勤講師を務める。日本舞踊飛鳥流名取。
フォルマント兄弟
フォルマント兄弟 (the Formant Brothers)」は、三輪眞弘(兄)と佐近田展康(弟)という父親違いの異母兄弟によって2000年に結成された作曲・思索のユニット。テクノロジーと芸術の今日的問題を《声》を機軸にしながら哲学的、美学的、音楽的、技術的に探求し、21世紀の《歌》を機械に歌わせることを目指す。
三輪眞弘 MIWA Masahiro
1958年東京生まれ。ベルリン芸術大学、ロベルト・シューマン音楽大学で作曲を学ぶ。1989年入野賞、2004年芥川作曲賞、2007年プリ・アルスエレクトロニカでグランプリ(ゴールデン・ニカ)、2010年芸術選奨文部科学大臣賞、モノローグ・オペラ《新しい時代》の再演(2017)および「三輪眞弘祭 ─清められた夜─」無観客ライブ公演(2020)で2020年佐治敬三賞、サントリー音楽賞などを受賞。『三輪眞弘音楽藝術 全思考1998-2010』(アルテスパブリッシング、2010)をはじめ、CD『村松ギヤ(春の祭典)』(フォンテック、2012)や楽譜出版など多数。「フォルマント兄弟」の兄。情報科学芸術大学院大学[IAMAS]教授を経て、2024年より京都芸術大学文明哲学研究所教授。
佐近田展康 SAKONDA Nobuyasu
1961年神戸生まれ。音楽家、メディアアーティスト。神戸大学大学院文学研究科修了(社会学)。プログラミング環境Maxで独自に開発した歌声のリアルタイム合成による作曲、パフォーマンス作品多数。声と機械をめぐるメディア論考も精力的に発表し、近年は「映画における音の機能」に関する研究も行っている。『Maxの教科書』(赤松正行と共著、リットーミュージック)、ソロCD『時計仕掛けのエルメス』(childisc、2000)など。三輪眞弘との人工音声ユニット「フォルマント兄弟」でも活躍中。名古屋学芸大学映像メディア学科教授。
河合 早苗
SASSO CO., LTD. 代表取締役
武蔵野美術大学短期大学部工芸デザイン科卒業
1986年 イタリアに渡り Michele De Lucchi 建築設計事務所(ミラノ)に4年間勤務
1991年 帰国し、京都に STUDIO SANAE KAWAI 設立(プロダクトデザイン、店舗・住宅設計)
1994年より神戸市で活動
2019年に株式会社SASSO 設立。映像・デジタルコンテンツの企画製作・配給、出版・セミナーの企画。「文様」をテーマに、現在ドキュメンタリー映画を製作中。