山峰 潤也
反復の圏域 -Repetitive Sphere-
大山エンリコイサム
森田子龍
山峰 潤也
反復の圏域 -Repetitive Sphere-
大山エンリコイサム
森田子龍
2023.6.24 Sat. — 2023.7.8 Sat.
日曜休廊
10:00 — 18:00
思文閣銀座では、2022年8月から新たにゲストキュレーターを招聘する展覧会シリーズ 『Ginza Curator’s Room』をスタートさせました。本シリーズではゲストキュレーターの目を通して、新たな魅力と価値が吹き込まれた「部屋」を展観します。第4回目となる本展「反復の圏域 -Repetitive Sphere-」では、東京都写真美術館、金沢21世紀美術館、水戸芸術館での学芸員勤務を経て、インディペンデント・キュレーターとして活動する山峰潤也氏がキュレーションを行います。前衛書を牽引した墨人会を1952年に結成し、書の再解釈と独自の表現を志向した森田子龍、ストリートアートの一領域であるエアロゾル・ライティングを分析し、その再構成から生まれたモティーフ「クイックターン・ストラクチャー」を起点に活動を行う大山エンリコイサムによる二人展です。半世紀ほどの時間の隔たりがありながら、書くことと描くこと、身体性とドローイングの関係など、多数の共通点をもったふたりの作家。本展では、森田の「圓」を書いた5点と、その反復と差異に呼応するかのようにクイックターン・ストラクチャーを変奏した大山の新作5点を発表します。
山峰 潤也
言葉は、同一性との差異を指し示すコードとして使われる。円と言われれば、各々が“円”という概念を思い浮かべ、円以外のものと区別する。こうした体系は、その言葉が反復して使われることによって、共通の概念が生成され、同じ言語を用いる共同体の中で同じ認識を持つように作用していく。西洋哲学の根幹には、その共通認識の背景に、永遠不変の概念であり、理性的思考によって認識される実在=イデアがある。このイデアから、物質、現象、状態などが現実世界に現れるとされてきたのである。しかし、イデアとは概念の世界にのみ存在し、現実世界にあるものはすべてイデアの投影であり、完全にイデアを表出させることはできない。だが一方で、他者同士の間に“円”を“円”と認識し、また“円”という語句が現実の“円”を示す認識が生まれていくことにより、言語・実世界・概念とが通貫していき、その反復によって共通の認識はより深まっていくとされた。
しかし、ジル・ドゥルーズはこれに異を唱えた。現代思想の最も重要な書籍の一つである『差異と反復』の中で概念世界を起点に思考する西洋哲学の根幹を揺さぶりながら、「自然法則からするならば、反復は不可能である」と述べたのだ。概念、それ自体の反復は不可能であるから、それは確かに言い得ている。ある概念が現実に表出するには、何らかの物質性を伴うこととなる。つまり、どれだけ慎重にその概念をトレースしようとも完全なる反復は実現しない。描かれた“円”は、どんなに精密に似せられても、インクや紙、書き手の動きなどによって微細な差異が生じる。そして、それは言語にも同じことが言える。パロール(発話)にせよ、エクリチュール(書き言葉)にせよ、言語が音やインクといったメディウムを介して現実に現れる時には、同一性を担保できる程度に記号としての骨格を保ちながらも、トーンやフォルムにおいて必ず差異が生じる。ただそこには、手触りや質感といったところから無限の感情や熱量が込められるほどに、豊かな表現の世界が広がるのだ。
この前提を踏まえ、森田子龍が前衛書の世界で挑み続けてきた主題へと意識を向けると非常に興味深い。当時傑出した日本の美術運動であった具体美術協会のリーダー・吉原治良は、文字性は造形美術にとって「非常に大きい書道の制約」と指摘し、書は文字の拘束から解放されるべきだと述べている。これに対して、子龍は、文字は制約ではなく、文字という骨格があるからこそ、書は空間性と時間制を内包できると応答している。ここに現れているのは、文字が内包する意味をひとつの土台としながら、その先の身体と墨を介して描かれた文字に宿る表現性とが呼応し、作品世界の深化をもたらすといった視点ではなかろうか。前衛書はしばし、アクションペインティングで知られるジャクソン・ポロック、カリグラフィックな描法のデモンストレーションを行うなど即興性を重視したジョルジュ・マチューや、森田と交流のあったフランツ・クラインといった抽象画家との影響関係が語られることがある。しかし、前衛書が如何にその文字の骨格を解体しようとも、書が文字を骨格として発展してきたこと、そして、表出された文字のフォルムが纏う存在感とその文字の意味とが反復・呼応するのである。森田は吉原との応答の中で、それゆえに、広がる表現領域があることを示している。こうした視点から見れば、文字という長い歴史の中で反復されてきた共通の概念があることを依り代に、時に激しく、時に流麗な筆致に見え隠れする機微が鑑賞者の感受性に訴えていくこと、そこに前衛書の探求があったのではないかと思わせる。本展の目論見の中で、森田の「圓」を反復して展示することは、同一の記号(文字)でありながらも、書かれた/描かれた文字に表現された差異が、作品ごとに異なる想像力へと導いていくことを示している。そこに文字が内包する概念とエクリチュールとが呼応した表現の豊かさが醸成されていくのである。
また本展では、1960年代から勃興したエアロゾル・ライティング(グラフィティ)を文化史的側面と視覚表現的側面から分析し、独自の方法論である「クイックターン・ストラクチャー」を構築していった大山エンリコイサムの作品を合わせて提示していく。エアロゾル・ライティングにおいては、作者を指し示すサインとして“タギング”という行為が行われる。それは、ライターそれぞれが独自に構築した自身を指し示す記号として繰り返し用いられ、トークン(共通言語)として、一定のコミュニティの中で共通認識として浸透していった。それと同時に、エアロゾル・ライティングが広まっていく過程で、テクニックや独自の美意識が確立されていき、この表現に特有のフォルムやスタイルというものが、視覚言語として世間に浸透していったのである。
エアロゾル・ライティングはストリートの描画行為から出発し、違法性を伴うことによって、次第に既成概念や権威性へのアンチテーゼ、あるいは自由の表明を含んだヴァンダリズムと結びつきながら発展していく。では、ただの落書きとエアロゾル・ライティングとを区分するものは如何なるものであろうか。現代においては、エアロゾル・スプレーなどの画材や、その独特の筆致などが、先に述べた特有のフォルムやスタイルとして、ひとつの視覚言語としての認識を押し広げ、既に浸透していることが挙げられる。大山が注目したのは、まさにこのエアロゾル・ライティングがエアロゾル・ライティングたるための視覚言語となり、反復によって社会に浸透し、人々の中での共通認識が確立されていったプロセスである。そして、その視覚言語を換骨奪胎しながら再構成していくことから「クイックターン・ストラクチャー」というモチーフを形成していったのである。つまりここから、イコノグラフィー(図像的記号論)の外にある筆致やマテリアリティ(物質性)、マチエールなどから生まれていった視覚的な共通言語への関心が読み取れる。
本展では、森田と大山、それぞれの視点を対比的に考察している。森田は、文字という「概念の中で共有されている記号」を実世界に墨を通して現出していくプロセスの中で、文字のフォルムを解体しながらも、文字を形成するストロークから感じさせる洗練されたダイナミズムによって、意味と表象とを呼応させ表現の領域を押し広げてきた。一方、大山は、エアロゾル・ライティングの図像としての全体性と部分を解体しつつ、解体された視覚言語のパーツを自身の表現のイデオムとして確保し、それを再構成していくことで自身の作品を作り上げてきた。両者は、“歴史の中で反復されて形成された文字という共通言語”と“エアロゾル・ライティング文化の中で形成された視覚言語”といったように、記号体系を解体しながら、その可能性を押し広げていく点において共通している。そして、それぞれの作家は解体された言語体系を用いて、再構成しながら作家固有の言語体系を作り上げていく。そしてまたそれは作家の表現の中で反復されていくことで、共通言語としての強度を築いていく。
こうしたそれぞれのスフィア(圏域)の重なりから、本展を『反復の圏域 -Repetitive Sphere-』と名付けることとした。これは、主観的・内的な時間を表す「kairos」と、不可視なものを含みこむ圏域としての「sphere」を組み合わせた大山の造語「Kairosphere」と、本展で展示する森田の「圓」から着想を得ているが、同時に、身体スケールで描かれる作品の肩・肘を軸とした円運動との密接な関わりからくるものでもある。
山峰潤也
キュレーター/プロデューサー 株式会社NYAW代表取締役
東京都写真美術館、金沢21世紀美術館、水戸芸術館現代美術センターにて、キュレーターとして勤務したのち、ANB Tokyoの設立とディレクションを手掛ける。その後、文化/アート関連事業の企画やコンサルを行う株式会社NYAWを設立。主な展覧会に、「ハロー・ワールド ポスト・ヒューマン時代に向けて」、「霧の抵抗 中谷芙二子」(水戸芸術館)や「The world began without the human race and it will end without it.」(国立台湾美術館)など。また、avexが主催するアートフェスティバル「Meet Your Art Festival “NEW SOIL”」、文化庁とサマーソニックの共同プロジェクトMusic Loves Art in Summer Sonic 2022、森山未來と共同キュレーションしたKOBE Re:Public Art Projectなどのほか、雑誌やテレビなどのアート番組や特集の監修なども行う。また執筆、講演、審査委員など多数。2015年度文科省学芸員等在外派遣研修員。
大山エンリコイサム
美術家。ストリートアートの一領域であるエアロゾル・ライティングのヴィジュアルを再解釈したモティーフ「クイックターン・ストラクチャー」を起点にメディアを横断する表現を展開。イタリア人の父と日本人の母のもと、1983年に東京で生まれ、同地に育つ。2007年に慶應義塾大学卒業、2009年に東京藝術大学大学院修了。2011-12年にアジアン・カルチュラル・カウンシルの招聘でニューヨークに滞在以降、ブルックリンにスタジオを構えて制作。これまでに大和日英基金(ロンドン)、マリアンナ・キストラー・ビーチ美術館(カンザス)、ポーラ美術館(箱根)、中村キース・ヘリング美術館(山梨)、タワー49ギャラリー(ニューヨーク)、神奈川県民ホールギャラリー、慶應義塾ミュージアム・コモンズ(東京)などで個展を開催。『アゲインスト・リテラシー』(LIXIL出版)、『ストリートアートの素顔』(青土社)、『ストリートの美術』(講談社)、『エアロゾルの意味論』(青土社)などの著作を刊行。2020年には東京にもスタジオを開設し、現在は二都市で制作を行なう。
森田子龍
1912-1998。書家。兵庫県生。名は清。初め上田桑鳩に師事。書の革新を志し、井上有一らと墨人会を結成するとともに、書芸術誌「墨美」を創刊、長く編集主幹を務め、新しい書芸術のあり方を国内外に発信し続けた。京都市文化功労者。平成10年(1998)歿、86才。平成12年、紺綬褒章追贈。